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嫁いびり離婚請求事件 控訴審

東京高判平1・5・11家月42巻6号25頁, 昭和57年(ネ)第2368号 離婚請求控訴事件

原審・新潟地裁長岡支部昭和56年(タ)第9号, 参考: 上告審判決

関係人仮名


判決

控訴人 〔被告〕
Y 〔妻〕
右訴訟代理人弁護士
金住典子
被控訴人 〔原告〕
X 〔夫〕
右訴訟代理人弁護士
鈴木 俊

主文

事実

一 当事者双方の申立

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二 当事者双方の主張

1 請求原因

㈠ 控訴人と被控訴人とは、昭和43年12月24日に婚姻届出をし、その間に長男太郎(昭和44年8月16日生)、二男俊郎(昭和47年1月3日生)を儲けた。

㈡ 婚姻関係破綻に至る経緯

⑴ 控訴人と被控訴人とは、婚姻当初被控訴人の母信子と同居生活をしていたが、昭和45年、信子が貯えた預金で新津市吉岡町に土地を買いもとめ、同46年にはそこに家屋を新築した。その際、ある程度被控訴人が借金した分もあったが、大部分は信子が出捐したことから、登記名義はいずれも信子とした。

⑵ ところが、控訴人は、婚姻後まだ2年程度しか経っておらず、しかもほとんど働くこともなく財産上の寄与を何らしていないにもかかわらず、登記名義を信子としたことに多大の不満をいだくようになった。

⑶ もともと、控訴人と信子とは、どちらも勝気な性格で、両人の仲はしっくりいっていなかったが、右の登記名義の件があって以来、控訴人は信子に辛くあたり暴力をふるうようになった。

⑷ 被控訴人は、このような事態を何とか改善しようと考え、昭和47年6月、病気勝ちの信子一人を残して、新津市下興野の借家に引越しをした。その後、被控訴人は控訴人との関係を改善するため、あえて病気勝ちの信子のところには行かないようにするなど、信子を犠牲にして努力を重ねた。しかし、控訴人は、信子に対して悪口雑言を吐き、また、被控訴人に対しても収入が少ない、泥棒などと一方的に非難や侮辱を重ね続け、事態の改善はみられなかった。

⑸ 昭和53年3月17日、被控訴人は、このような家庭にいたたまれず、一人で旅行に出たところ、同19日、控訴人は、一切の家財道具を持ち去って家を飛び出した上、控訴人の兄及び父を通じて、被控訴人と離婚したい旨の申し出をなすに至った。

⑹ 被控訴人は、昭和54年8月、新潟家庭裁判所十日町出張所に離婚調停の申立をなし、その結果いったんは同居してやりなおすということになったが、結局控訴人は戻ることがなかった。翌55年8月被控訴人はあらためて離婚調停の申立をしたが不調となった。

なお、別居後から、控訴人は被控訴人の取引先や知人を訪問して、ありもしないことを言いふらし、被控訴人の営業妨害をなしたばかりでなく、被控訴人の信用を傷つける行為を行っている。

⑺ 以上の次第で、被控訴人と控訴人とは、婚姻以来波風の絶えることがなく、この間被控訴人は、円満な家庭生活を送りたいと願って努力をしてきたのであるが、控訴人は、被控訴人及び信子を一方的に非難するだけでなく、ありもしないことを吹聴してまわるなどの行為を続けているのであって、婚姻関係は完全に破綻しているものである。なお、この婚姻関係自体が破綻していることは、控訴人においてもほぼ自認しているところである。

㈢ よって、右事情は、民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由に該当するので、被控訴人は控訴人に対し離婚を求めるものである。

2 請求原因に対する控訴人の答弁及び主張

㈠ 答弁

請求原因㈠の事実を認め、㈡の事実中、婚姻当初被控訴人の母信子との同居生活、土地購入と家屋の新築及びそれぞれの登記名義、控訴人と信子との勝気な性格、新津市下興野への転居、昭和53年3月17日からの別居生活の点はこれを認め、その余は争う。

㈡ 主張

⑴ 控訴人は、被控訴人からその熱意をもって妻として迎えられ、夫婦の仲は睦まじかったが、それゆえに姑信子の嫉妬と僻みの種となった。夫に先立たれ、長年愛情生活にも飢え、金銭の苦労を続けてきた信子は、もともと我侭で気の強い性格であったので、控訴人に一人息子である被控訴人が優しくするのが気にくわず、とりわけ長男が生れてからは、控訴人が竹村家の嫁として強くなるのを恐れ、控訴人をいじめ、追い出そうと異常なまでの態度にでた。被控訴人は、信子のこのような異常な態度がわかっていながら、妻との板挟みとなり、結局は信子の我侭と強引さに引きずられ、信子と気持を一つにして控訴人を追いだそうと考えるようになった。とくに、新津市吉岡町の土地を購入し、家屋を新築して、その登記名義をいずれも信子にした頃から、信子の財力が決定的に強くなり、それまでは何とか間をとりもとうと努力していた被控訴人が次第に信子の嫁いびりに加担し、信子の嫁追出しの意地悪な策略に乗せられていった。このように、長男の誕生、土地の購入、建物の新築、それらの登記名義を信子としたこと等は、殆ど同一時期であるが、一方、控訴人は、この頃以降被控訴人が一方的に蒸発して本格的に控訴人の追出しに踏み出した昭和53年3月17日まで、初めには優しかった夫を信じたいと必死に努力し、子供のためと歯をくいしばって耐え、牛馬のごとく働いて稼ぎ、被控訴人と信子の現在の住いとなっている右土地建物のローンを返済していたのである。

ところが、昭和53年3月17日、突如として被控訴人は、控訴人と子供二人を遺棄して蒸発し、翌々日の19日には、信子の住む被控訴人の前記吉岡町の家に帰り、同居を懇願する控訴人を無視し、信子と共同して控訴人を竹村家から追い出したのである。

⑵ 控訴人と被控訴人の別居は、昭和53年3月17日以来今日に及んでいるが、被控訴人と信子は、婚姻破綻の原因はひとえに控訴人にあると言い、養育費も家事調停によって昭和58年2月から一人月額1万5000円、二人で僅か3万円と定められたが、被控訴人は、それすらも長期にわたって遅滞し、辛うじて昭和60年1月分まで支払ったにすぎない。そのため控訴人と子供二人を生活保護受給者に追い込み、自分たちはマイホーム、マイカーで悠々たる生活を送っている。控訴人と被控訴人のこのような別居の原因は、被控訴人と信子の控訴人に対する追出しと悪意の遺棄にあるのであり、被控訴人の本訴請求は、有責配偶者からの離婚請求にほかならない。そして、別居後の被控訴人は、一方で前記の如く妻子たる控訴人及び太郎、俊郎を生活保護受給者に追い込み、控訴人に耐え難い生活上の苦難を与え続け、子らに理不尽な子捨ての仕打ちを加えていながら、他方で不貞の事実もあるのであって、このような行為は、著しく社会正義に反し許し難いものと言わなければならない。

3 控訴人の主張に対する反論

㈠ 控訴人の組み立てたストーリーは、控訴人が前記土地、建物の取得について多大の貢献をしたにかかわらず、これを勝手に信子名義とした上で控訴人の追出しにかかったということのようであるが、これは全く合理性のない主張である。

⑴ 確かに控訴人と信子の仲がうまくゆかなかったことはあるが、それはむしろ、もともと控訴人が信子を忌み嫌い、信子に対して嫌がらせをしたりしていたからであり、控訴人は自らの身勝手な振舞いをするだけで、信子と融和しようと努力した気配すらなかった。

信子は、控訴人とは、昭和47年に別居して以後は同居したことがなく、その別居も、信子が主張したのではなく、被控訴人が控訴人との生活をやり直そうと考えたことによるもので、控訴人自身の意思でもあった。それが控訴人を追い出すための計画的なものでなかったことは、右によって明らかであるが、かりに被控訴人が信子の嫁いびりに加担したのだとするならば、そもそも別居などする筈はない。同居を継続しながら嫁いびりを継続すればよいだけのことだからである。

さらに、控訴人は、前記土地、建物の登記名義を信子にしたことが、被控訴人をして、控訴人を追い出させた要因であるとするようであるが、信子が死亡した場合、被控訴人のものになる土地、建物に関して、被控訴人が信子の機嫌をうかがう必要はないのであって、控訴人をいびる要因にはなりえない。そもそも、控訴人において、ほとんど財産的貢献がなかったことは明らかであるにもかかわらず、その登記名義が信子になったことを逆恨みして、自分にも相当程度の持分があると考えていたとしたら、とんでもない思い違いであり、また、この程度のことに、信子と被控訴人とが慾望のかたまりとなって、10年にわたり計画的に控訴人を追い出そうと謀って、控訴人をいびり続けたなどとは、一見して明らかに不合理な主張である。

⑵ 昭和53年3月以降の別居も、前記のとおり、その別居自体が控訴人において一方的に家財道具一切をまとめて出て行ったのであって、被控訴人及び信子が追い出したものではない。さらに、別居後、離婚調停をした際も、被控訴人は、調停委員らの説得を受け入れて、右調停の申立を取り下げ、いったんはやり直すことを決意しさえしたのである。もし、10年前からの計画的な追出し行為であれば、そのような話になる筈がない。にもかかわらず、かえって控訴人は同居を拒み、やり直そうとしなかったのが実態なのである。

㈡ 以上のとおり、本件婚姻関係の破綻が、被控訴人ないし信子の悪意ある行為によるものであるとする控訴人の主張は全く理由がなく、まして被控訴人に不貞があるなどとするに至っては、ためにする主張としか言いようがない。

三 証拠関係

原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一 いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推認すべき甲第1、6号証、乙第6ないし第10号証、第14ないし第17号証(乙第7、8号証、第14ないし第16号証は弁論の全趣旨によって原本の存在とも)、弁論の全趣旨により成立の真正が認められる甲第2号証、乙第4号証、第24号証、当審における被控訴人本人尋問の結果により成立の真正が認められる甲第4、5号証、当審における控訴人本人尋問の結果(第1回)により成立の真正が認められる乙第1号証、当審における証人関谷実の証言により原本の存在及び成立の真正が認められる乙第33号証、当審における証人竹村信子、同原田哲三、同関谷実の各証言、原審及び当審における被控訴人並びに原審及び当審(第1回ないし第3回)における控訴人各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。

1 被控訴人(昭和17年2月27日生)と控訴人(昭和17年2月6日生)は、共に洋服仕立の職人をしていたが、昭和43年春頃見合いし、昭和43年11月17日に結婚式を挙げ、同年12月24日婚姻の届出を了した。二人の間には、長男太郎(昭和44年8月16日生)と二男俊郎(昭和47年1月3日生)がある。

2 控訴人と被控訴人は、新津市山谷の被控訴人がその母信子(大正5年7月20日生)と同居していた借家で、仲睦まじく新婚生活を始めた。控訴人も当初は、そこから新潟市内の洋服店へ通勤したが、間もなく長男を妊娠したため辞めた。なお同居後婚姻の届出が遅れたのは信子が入籍に反対していたためであり、信子は知人に対し、控訴人に聞こえるような声で、「嫁なんてものは、2、3年籍なんか入れないものだ、子供なんか2、3年生まないで家のために働くものだ。」と言ったりしていた。しかし、控訴人が妊娠したことがわかり、被控訴人は婚姻の届出をしたのであるが、そのことを信子が知ると、信子は「俺の戸籍をポツンと切りやがって」などといった。またその頃、信子の姉が自殺するという事件がおきたが、信子は、姉はその息子の嫁にいじめ殺されたのだなどと言い出し、その後は、控訴人に対するあてこすりの態度が露骨になった。

3 昭和44年3月頃、信子は、被控訴人ら夫婦の洋服の仕立が遅れていることに文句をつけたことから、被控訴人ら夫婦と口論となり、被控訴人に出て行けと言い、遂には控訴人の作った食事に手を付けないということがあった。

同年8月に長男太郎が生れたが、信子は、太郎が被控訴人の子ではないと仄めかすようなことを言い、また絶対性包茎で手術すれば治るにも拘らず片輪を生んだと言ったりした。同年9月頃には被控訴人は勤めを辞めて洋服仕立職人として独立し、訴外原田啓三の下請を自宅でするようになり、控訴人は被控訴人の仕事を手伝った。

4 昭和45年6月頃、被控訴人は、現在居住している吉岡町の土地を購入したが、信子が、再婚した夫と別れた後長年親一人子一人で被控訴人を育てながら働き、将来自分の家屋敷を持つことを楽しみにしていたため、土地の登記の所有名義を信子とした(昭和45年7月11日登記経由)が、その購入資金の大部分は、被控訴人が結婚する前約5年の間信子とそれぞれ働いて信子名義で蓄えていた預金で賄われた。

昭和46年には、右吉岡町の土地に家を建てたが、その資金は、信子の遺族年金を担保とする借入れを主に、被控訴人が原田からした40万円の借金等で賄い、被控訴人も貯金から30万円を出し、登記上の所有名義を信子とした(昭和46年10月28日登記経由)。被控訴人は、原田からの借金を月賦で返済したが、これは控訴人と共に働いた稼ぎによった。控訴人は、右土地、建物の所有名義を信子としたことをまもなく知り、そのことで被控訴人に文句を言うようになり、被控訴人がいずれ自分たちのものになるのだからと言って諫めても聞かず、さらには被控訴人に対し、被控訴人親子を些細なことで泥棒呼ばわりをしたり、また控訴人が、信子が風呂に入った後は汚れているから入りたくないと言ったりしてもめ、家庭内に波風が絶えなくなった。しかし被控訴人も、控訴人と信子との間で問題が起きたとき、つきつめて解決しようとせず、その場逃れの対応をするにとどまった。

5 信子は、昭和46年8月に勤めを辞め、以後家に居るようになったが、その気丈で勝気な性格の故もあって、同じく気の強い控訴人とは、ますます感情的に対立するようになり、喧嘩になると控訴人のみならず、被控訴人に対しても「出てゆけ」と口走っていた。

昭和47年に二男が生れてからも右のような事態は変らず、信子は、控訴人を叩き出せと被控訴人を煽ったり、控訴人の叔母や従兄弟を呼びつけて、こんな嫁も子供もいらん、連れて帰れと責め立てるような始末であった。

その頃、控訴人と信子が、余りに酷い口論をするため、被控訴人ももてあまし、控訴人の父に来てもらって話合っているうちに、控訴人が激昂し、死にやがれなどと言って信子の髪の毛を掴み引っ張ったりしたということもあった。

6 同年7月被控訴人は、少し冷却期間を置いた方がよいと考え、新津市下興野に家を借り、信子と別居することとし、控訴人も、これからは子供達を中心にした生活をし、やがては自分達の家をつくろうという被控訴人の約束を信じて結局これに従い、子供二人と共に吉岡の家を出た。ただその際、控訴人は、家を建てるため被控訴人が拠出した約70万円の金員を信子から返してもらわなければ家を出ないと言って被控訴人を困らせたことがあった。しかし、下興野に居を構えた後も、控訴人は、信子と被控訴人の悪口を言い続け、被控訴人との口論は絶えなかったし、他方被控訴人も信子との接触をやめようとはしなかった。

7 その後、被控訴人は、前記原田のすすめで、一時原田の新潟市の支店で訴外関谷実と共に洋服仕立の仕事に従ったが、関谷が事情あって辞めるのに伴って自らも辞め、昭和51年9月頃関谷と共同で新津市古田において洋服店を開くこととし、控訴人も子供達と共に古田の店舗兼住宅の借家に引越した。当初は、控訴人も気分的に落着き、被控訴人の仕事も順調に行くかに見えたが、信子が、古田を時折訪ねるようになってから、またも控訴人は、被控訴人に対し、被控訴人親子の悪口を言って、被控訴人に当たり散らし、第三者にも被控訴人ら親子の悪口を言うようになった。そうこうするうち、被控訴人の仕事も経済的にはかばかしくなくなっていった。

8 昭和53年3月17日、被控訴人は、関谷との些細な金銭トラブルもあって、仕事の面でも面白くなく、控訴人との関係は相変らずという生活に嫌気がさし、関谷宛てに迷惑をかけてすまぬという趣旨の書置を残して、控訴人には無断で家を出て、目的もなく大阪へ行った。その際信子には行く旨告げたところ、信子は「おう、行ってこいや」と述べただけであった。

被控訴人は、翌日吉岡の信子のもとに帰ってきたが、控訴人は、被控訴人が家出したため捜索願を出したりしたところ、被控訴人からの連絡でその所在を知り、実家の父を呼んで被控訴人と夫婦としての共同生活をやり直すか否かの話合いをしたが、結局らちがあかず、控訴人は、古田の家から家財道具を運び出し、子供二人を連れて控訴人の実家に帰った。ところで、その頃あった被控訴人の関谷に対する分約40万円その他の負債は、信子が貯金を降ろして始末した。

9 その後、被控訴人から控訴人に対し、昭和54年に離婚の調停が申し立てられたが、調停委員のもう一度やり直してはどうかとの説得もあって取り下げられ、被控訴人もやり直す気になったこともあったが、控訴人との話合いがうまく行かず、同55年再度の離婚調停の申立も不調となって、同56年4月本訴提起に及んだもので、今日まで控訴人との別居が続いている。

現在被控訴人は、吉岡の家で信子と同居して、洋服仕立の下請仕事をしており、自家用車などを持った余裕ある生活をしているが、昭和58年2月15日に婚姻費用分担の調停により、控訴人に対し婚姻費用(二子の養育料)の分担として同年2月以降毎月子一人につき金1万5000円を支払うこととされたにもかかわらず、結局同60年1月分まで支払ったのみで、以後は、控訴人が被控訴人の営業を妨害し、信用を傷つける行為に及んでいるとして、全く送金をしていない。他方、控訴人は昭和58年4月以降生活保護を受けながらパートタイムの仕事をし、一貫して被控訴人との離婚を拒否し、子供のためにもと夫婦親子の共同生活の回復を願っている。太郎は高校を卒業して横浜に働きに出ており、俊郎は高校2年を卒えたところで控訴人と共に暮している。

以上の事実が認められ、証人竹村信子の証言及び控訴人、被控訴人各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、現在控訴人と被控訴人との婚姻は、当事者の性格や10年間の別居状態が続いたことを考慮すると、一見その回復の見込みはない状態にあるかに見えるが、その原因について考えると、控訴人の極めて執着心が強くまた勝気でやや攻撃的な性格が右のような状況に至らせた一因であることは否定し難いが、信子の気丈で勝気な性格や同人の余りにも常軌を逸した控訴人に対する仕打が、被控訴人の優柔不断というか、後になるに従って信子べったりとなっていた対応とあいまって、控訴人を必要以上に刺激し、控訴人の前記認定のような言動を誘引したことこそ、その主因と見るのが相当である。

そうだとすると、控訴人と被控訴人間に限ってみれば、両名間に未成年の子二人が居り、うち一人は高校在学中という明らかな未成熟子であることをも考慮にいれると、その婚姻関係は回復不能とまでいえるかどうか、当裁判所は判断に苦しむところである。

この点を少しく立ち入って更に考察すると次の如くである。

被控訴人は、当審における本人尋問において、「控訴人ともう一度やり直そうという気をなくしたのは当審においてである」と供述するが、そうとすれば、二度の離婚調停を経た上での原審の本訴提起は何であったのかたやすく理解し難いところである。そしてまた、当審における累次にわたる口頭弁論、証拠調べの全過程を通じて、当裁判所は、控訴人と被控訴人間に、通常控訴審にまで至った離婚事件の当事者間にみられる定型的ともいえる一種の緊張関係が遂に感得されなかった。より直截に言えば、信子といういわば遮断幕のあちらとこちらで相互に非難しあっているのではないかとの心証を払拭しきれないのである。成程、被控訴人と控訴人とのそれぞれの陳述書(前掲甲第2号証と乙第1号証)には、かなり激越な、もはや絶望的ともみえる非難の応酬があるが、それとても彼此対照しながら仔細に追ってゆくと、多分に誇張と潤色に彩られ、これを額面通り受けとることは危険であるというべく、また、いずれも信子の存在及び言動を抜きにしては考えられない出来事の展開が記述されているとの感を深くする。そして、その信子自身、当審証人として「仮に私がいなければ被控訴人と控訴人とは仲良くするんじゃないでしょうか」と証言しており、同証人原田啓三は、信子と控訴人との「どちらも気丈だからということで、どちらかがおりればこのようなことにはならなかったと思います」と証言し、また、同証人関谷実も「被控訴人が下興野に居た頃も古田にいた頃も、被控訴人夫婦の仲は悪くありませんでした。もし悪ければ、私は一緒にやらなかったでしょうね。控訴人と信子との間は仲が悪いが、夫婦の間は良いと見て感じました」と証言する。そのいずれもが心証を惹くに足りる。そして、前記の下興野への転居、古田からの被控訴人の家出はもとより、何度か試みられた同居の話合いの挫折なども、信子の存在を措いては考えられないことが、前掲甲第2号証、乙第1号証によって知られるところである。加えて、被控訴人には他に然るべき女性が存在するやについては、前掲乙第1号証及び控訴人本人尋問の結果中、これに添う部分以外には、本件全証拠を以てしてもこれを認めることはできず、右部分はたやすく措信できない。

してみると、今の時点で、控訴人と被控訴人の婚姻関係の回復可能性について、これを全く否定し去るには、ためらいを覚えざるをえないのである。換言すれば、婚姻破綻の証明はつかないということに帰する。

のみならず、たとい現にその婚姻関係が回復不可能なまでに破綻しているとしても、本件は、前記のところから明らかなように、母一人子一人の家庭(ちなみに、前掲乙第1、17号証、証人竹村信子の証言及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、信子の夫で被控訴人の父は信子27歳、被控訴人1歳の頃戦死し、また、信子が再婚の夫と協議離婚したのは昭和23年で、当時信子32歳、被控訴人6歳であったこと及び被控訴人と控訴人が婚姻したのは信子52歳の時であったことが認められる)に迎えられた妻に対する姑の嫁いびり延いては追出しの典型的ともいえる事案と考えられる。すなわち、信子は、当審における証言において、「結婚して、最初に控訴人がうちに来て、私はあまりよくは思いませんでした……私は知らん顔をしていました」とか、「私は(控訴人が)嫁として来てから、一度もいい嫁だと思ったことはありません」とか、「見てて出来の悪い嫁だと思っていた」とかと繰り返し揚言して憚らず、また、前掲証人原田啓三の証言によれば、婚姻当初信子は、被控訴人がだまされて結婚したのだという趣旨のことを述べていたこと、及び夜中に控訴人、被控訴人夫婦の寝所に向って「あにや、何してたや」と呼びかけたりしたことが認められ、これらは、前記異常なまでの控訴人に対する言動の根底にあるものを暗示するに足りる。他方、被控訴人の信子に対する情愛も深甚なものがあり、前記行動態様のほか、当法廷における証人信子の証言時の被控訴人の介添振りは並々ならぬものが看取された。

そうすると、被控訴人は、信子の控訴人に対する嫁いびり延いては追出しの策動に加担し、これを遂行したものとの非難を免れえず、婚姻破綻につき専ら(ここでは主としての意)責任を有する者として、本訴は有責配偶者の離婚請求と断ぜざるをえない。そして、前記の如き婚姻期間約10年に比すれば別居期間約10年(しかも、その大半約7年間は本訴係属中の期間である)が不相当に長期間にわたっているとは即断できず、双方の年齢もいずれも同年の47歳であり、未成年子二子のうち、明らかな未成熟子の高校生が一人居り、被控訴人の現在までの前記婚姻費用の支払状況から察すると、今後の控訴人に対する財産的給付の可能性は極めて薄いといわざるをえない。その他、本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、今、離婚の実現をみたときは、控訴人を現在より一層苛酷な状態に追いやるであろうことは十分に予見しうるところである。

そうである以上、被控訴人の本訴請求は、民法第1条の法意からしても、許されるべきではない。

従って、被控訴人の本訴離婚請求は失当であるからこれを棄却すべきである。

二 よって、これと結論を異にする原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法96条、89条を適用して主文のとおり判決する。

裁判長裁判官
髙野耕一
裁判官
野田 宏

裁判官米里秀也は、転補のため署名押印できない。

裁判長裁判官
髙野耕一


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