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パブリシティ権に関する一考察 (2) ―その侵害の態様について―


※拙稿「パブリシティ権に関する一考察(1) ―その客体について―」(東京情報大学研究論集5巻2号所収)の続編(完結)である。章番号および注番号は,前編からの引き続きである。

5 パブリシティ権の侵害態様

パブリシティ権の侵害に関し,前章までではいかなる情報がパブリシティ権の客体となりうるかを検討してきたが,他方いかなる行為がパブリシティ権侵害たりえるかについても併せて検討されねばなるまい。そこでまず,第1章であげたパブリシティ権に関する従来の裁判例(マーク・レスター事件およびおニャン子クラブ事件)において,いかなる行為がパブリシティ権侵害(不法行為)と判断されたかを具体的に見ていこう。

マーク・レスター事件判決は,第1章に引用したように,著名人がその氏名・肖像につき有する経済的利益が「当然に不法行為法によって保護されるべき」であると述べたうえで,「原告マーク・レスターは……本件映画への出演契約により,自己の氏名及び肖像が一般に公開されることを予め承諾したものと解されるが,右承諾の範囲は,それが同映画の上映又は宣伝目的に使用される場合にとどまるものと解すべきであ〔る。〕そうすると,本件コマーシャルの放映は,原告マーク・レスターの承諾の範囲を超えて,違法に同原告の氏名及び肖像を被告〔菓子メーカー〕の製品の宣伝に利用したものであって,〔本件コマーシャルの放映に関わった〕複数の人又は会社の行為が相関連共同して,一個の不法行為を構成するものと解すべきである。」と判示している。一方おニャン子クラブ事件控訴審判決は,「〔問題となった〕カレンダーは,年月日の記載以外は殆ど被控訴人らの氏名・肖像で占められており,他にこれといった特徴も有していないことが認められることからすると,その顧客吸引力は専ら被控訴人らの氏名・肖像のもつ顧客吸引力に依存しているものと解するのが相当である。そうすると,被控訴人らは,控訴人の〔カレンダー〕販売行為に対し,前記の〔第1章において引用した〕財産的権利に基づき,差止請求権〔および〕廃棄請求権を,それぞれ有するものと解すべきである。」と述べている。

上記のうち前者は,著名人の氏名・肖像といったパブリシティ権の客体となりうる情報(以下,本稿において「パブリシティ情報」という。)を商品・役務等の広告において用いる典型例であり,ここではパブリシティ情報をその主体の承諾なくそのような広告に用いることが「違法」と判断されている。また後者は,パブリシティ情報を商品等自体と組み合わせて用いる典型例であり,この場合は商品等がもっぱらパブリシティ情報の持つ顧客吸引力に依存していることが「財産的権利の侵害」と評価されていると見ていいだろう。

翻ってキング・クリムゾン事件においては,情報(パブリシティ情報を含む。)を,その主体に関する紹介・批評という表現行為において利用した点が,従来の上記2類型と異なるものである。ここで,紹介・批評等における情報の利用という行為態様がパブリシティ権侵害を構成するか否かという問題が浮かび上がってくる。

この点を含めたパブリシティ権侵害の成否に関する問題に対する考え方は,大きく二つに分類ことができよう。すなわち一つには,顧客の耳目を惹く(「アテンション効果」を有するという)程度での情報の使用があればそれを直ちに顧客吸引力の利用であると捉える考え方がある(18)。パブリシティ価値ないし顧客吸引力を有する情報は通常一定の顧客の耳目を惹く機能を有しているから,この立場によれば,パブリシティ価値を有する情報の使用はいかなる態様であれおよそパブリシティ権を侵害する可能性があることになり,いわば客観的・形式的に判断できることになろう(19)。いま一つは,問題となる情報の利用態様がもっぱら当該情報の持つ顧客吸引力を利用しているか否かで個別具体的に判断する考え方である。この立場によればパブリシティ権侵害の成否を形式的に判断することはできず,パブリシティ情報を利用する目的や,商品・表現全体に比してパブリシティ情報がどの程度の割合で用いられているか(分量)などの点をも含めた総合的な判断が必要となろう。

この問題は当然ながらキング・クリムゾン事件においても争われたのであるが,これについては第一審が「出版物が,パブリシティ権を侵害するか否かの判断は,出版物の内容において当該著名人のパブリシティ価値を重要な構成部分としているか否か,言い換えると重要な部分において当該著名人の顧客吸引力を利用しているといえるか否かという観点から個別具体的に判断すべきである」と述べ,また控訴審も「他人の氏名,肖像等の使用がパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かは,他人の氏名,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,右使用が他人の氏名,肖像等のパブリシティ価値に着目しその利用を目的とするものであるといえるか否かにより判断すべきものである」と判示しており,異口同音に後者の(顧客吸引力の利用程度によって個別具体的に判断するという)立場を採ったものと見ることができよう。

しかしながらこの判断基準は,とりわけ控訴審判決のそれが判断材料として「〔パブリシティ情報〕を使用する目的」という主観的要素を含んでいる点からも,その認定の困難さが窺える(20)。現に,両判決は顧客吸引力ないしパブリシティ価値の利用の程度によってパブリシティ権侵害の成否を判断するという基本的な点でほぼ一致していながら,実際の認定では異なる結論を導き出しているのである。

どのような,あるいはどの程度のパブリシティ情報の使用がパブリシティ権侵害を構成するか否かについての判断が,これらの裁判例のように個別具体的になされるものだとしても,そこに何らかのメルクマールを見出すことはできないだろうか ――以下,この点について検討する。

6 不法行為の要件としての権利侵害(違法性)

実際にパブリシティ権についての侵害行為の態様を検討する前に,まず一般的な不法行為の要件としての権利侵害の態様についていったん整理しておこう。

民法709条は,[1]責任能力ある者(加害者)が,[2]その故意または過失によって,[3]他人の権利・利益を違法に侵害し,[4]その結果当該他人に損害が発生した場合,[5]加害行為と損害との間に相当因果関係が存する限度において,当該他人に対する損害賠償責任を加害者に負わせる,という趣旨である(21)。このうち特に[3]の「権利侵害」要件については,旧民法(いわゆるボアソナード民法)には特に記されていなかったこともあり,現行民法の起草当時から議論があった点である(22)。この点について当時(大正初期にかけて)の判例には,「権利」を狭く解して不法行為の成立を否定したとされるものもいくつか存在する(23)が,その後大審院が,大判大14・11・28民集4巻670頁(大学湯事件)において,「〔民法709条〕ハ故意又ハ過失ニ因リテ法規違反ノ行為ニ出テ以テ他人ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任スト云フカ如キ広汎ナル意味ニ外ナラス其ノ侵害ノ対象ハ或ハ夫ノ所有権地上権債権無体財産権名譽権等所謂一ノ具体的権利ナルコトアルヘク或ハ此ト同一程度ノ……法律上保護セラルル一ノ利益〔すなわち〕……吾人ノ法律観念上其ノ侵害ニ対シ不法行為ニ基ク救済ヲ与フルコトヲ必要トスト思惟スル一ノ利益ナルコトアルヘシ」と判断するに至ったことが契機となって,「権利侵害」要件は「違法性」へと読みかえられるようになったのである(24)

この違法性論においては,「被侵害利益(の種類)」と「侵害行為の態様」との相関関係によって不法行為の成否が決せられるとされている(25)。すなわちここでは,「被侵害利益」が[1]所有権・占有権・知的所有権等の物権的権利,[2]債権的権利,および[3]身体・自由・名誉(民710条)等の人格権的権利,という類型に,他方「侵害行為の態様」が,[1]刑罰法規違反となる行為,[2]行政上の取締法規に違反する行為,[3]法規に直接違反するのではないが公序良俗に違反する行為(権利濫用も含む),および[4]作為義務違反(不作為による不法行為),という類型にそれぞれ分類され,「被侵害利益」が物権のように強固なものであれば「侵害行為の態様」が刑罰法規に抵触する程度に至っていなくとも不法行為が成立するが,他方,「被侵害利益」が法律上明確に権利とされるに至らない程度の利益に対しては「侵害行為の態様」が刑罰法規に反する程度でなければ不法行為が成立しないというのである(もちろん,この点は一概に決せられるわけではなく個別具体的判断がなされる。)。

7 パブリシティ権侵害における違法性論

筆者は,第5章において問題としたパブリシティ権侵害の成否について,これを不法行為における違法性論の「被侵害利益(の種類)」と「侵害行為の態様」との相関関係になぞらえて,「パブリシティ情報」と「その利用態様」(または,「パブリシティ権の客体となる一定の情報をコントロールすることを内容とする利益」と「当該利益に対する侵害行為の態様」)との相関関係により判断することができるのではないかと考えるものである。

すでに述べたようにそもそも明文の法条を持たず,また裁判例の集積もそれほど多くない現段階においては,およそ考えられるすべてのパブリシティ権侵害の事例を類型化することはいまだ困難であるといわざるを得ないが,不法行為における違法性論のような類型化を試みるとすれば,おおむね以下のようになろう。

そして,上記(a)と(b)との相関関係によって,すなわち(a)パブリシティ情報が[1]のように強固なものであれば(b)情報の利用態様が(b.1)または(b.2)の[3]に掲げた程度のような場合でもパブリシティ権侵害が成立するが,(a)パブリシティ情報が[3]や[4]のように主体との関連性において弱いものであるときは(b)情報の利用態様が(b.1)または(b.2)の[1]に掲げた程度に達していなければパブリシティ権が成立しない,というように判断できるのではなかろうか。もちろんここに掲げたのはあくまで一応の目安であって,実際にはさらに具体的な判断が要求されるであろうが。

8 再びキング・クリムゾン事件

このパブリシティ権侵害の成否の判断基準に関する論理を,実際にキング・クリムゾン事件に当てはめてさらに検討してみよう。まず同事件で大きな問題となったジャケット写真については,そもそも主体との関連性が弱められていることから前記(a)-[4]の情報と捉えることができ(あるいは「遮断」と捉えればそもそも主体との関連性なし),当該各ジャケット写真に対応するレコードやヴィデオの紹介記事とともにこれらを用いることは,情報の利用態様という点からも(前記(b.1)・(b.2)-[3]かまたはそれに満たない),パブリシティ権侵害を構成しないものと捉えていいだろう。また書籍の章扉部分等の肖像写真についても,情報(肖像写真)そのものは(a)-[1]に該当すると考えられるが,利用態様が(b.1)・(b.2)-[3]に達しない(主観的にはパブリシティ価値の利用を目的としておらず,また客観的に分量も少ない)ものとして,やはりパブリシティ権侵害を構成しないということができよう。

結果として同事件控訴審判決と同じ結論になるが,その意味においても同判決は妥当であると考えるものである。

なお,同事件においては出版物による著名人の紹介・批評が問題となったことから,パブリシティ権侵害に基づく出版差止請求が憲法上の「言論・出版の自由(表現の自由)」を侵害するものかどうかについても争われた。すなわち控訴審判決において,被告・控訴人側が主張する「表現の自由」の抗弁およびこれに対する原告・被控訴人側の再抗弁に応えて,裁判所は,「氏名,肖像等の顧客吸引力が認められる場合でも全体としてみれば著名人の紹介等としての基本的性質と価値が失われないことも多いと考えられるから,その場合には右紹介等は言論,出版の自由としてなおこれを保護すべきである」と判示したのであるが,この点についても若干付言しておく。

表現の自由を含む基本的人権に関する憲法の規定は私人間の法律関係にも適用されるものと考えられており(26),その意味においては,裁判所が同事件のような民事訴訟において「表現の自由」に言及すること自体何ら異論はない。しかしながら,とりわけ控訴審判決に関していえば,そもそも控訴人(被告)側の主張する「パブリシティ権を侵害していない」という抗弁を容れた判断をなしているのであるから,そのうえさらに「表現の自由」について判断することは無用ともいうべく,いわゆる「つっかえ棒判決」と見ることもできなくはない。むしろこの「つっかえ棒」があることによって,人によっては当該部分をもって「紹介・批評は表現の自由として保障されるからパブリシティ権侵害を構成しない」旨を判示したと誤解する向きがあるのではなかろうかと危惧するものである(27)

いずれにしても,本稿においてこれまで見てきたように,パブリシティ権に関してキング・クリムゾン事件の示唆するところは(第一審判決・控訴審判決ともに)非常に大きいといえよう。

おわりに

以上前後編を通じて,著名人の紹介・批評という表現行為がパブリシティ権侵害を構成するかどうかが問題となった事例を手がかりとして,どのような情報がパブリシティ権の客体となりうるか,またそのような情報をどのような態様で用いることがパブリシティ権侵害を構成するか,そしてその判断基準はどこに求められるかという点について,不法行為法における違法性論のアナロジーによって理論構成を試みた。

この紹介・批評という類型に属するものはもちろん,他の類型をも含めたパブリシティ権全体としてもまだそれほど裁判例が多く存在するわけではないことから,今後もさまざまな事例の出現が期待される(そして幸か不幸か,メディア多様化の時代はおそらくそれをもたらしてくれるだろう。)。と同時に,パブリシティ権についての体系的な理論構成の充実がさらに求められてゆくこともまた容易に予想されるところであって,我々はその努力をなさなければならないであろう。


(18) 牛木前掲(6)449頁。

(19) もっとも,前述したように問題となる情報がそもそもパブリシティ権の客体たりえるか否か,すなわち識別性を有する個人情報がその主体との関連性を失っていないかどうかが問題となる余地はあるだろう。

(20) 念のため付言するに,裁判において当事者の主観的な要素を判断(事実認定)することは,困難ではあるが否定されるべきではない。後述するように,不法行為(民709条)でも加害者の「故意・過失」という主観が要件とされている以上裁判所はこれを判断せざるを得ないし,またキング・クリムゾン事件控訴審において問題とされた「目的」についていえば,例えば,不正競争行為の類型には「不正の利益を得る目的」が要件とされるものもあり(不正競争2条1項7号・8号・9号・12号),これに対する判断がおのずと要求されるところである。問題は,そのような判断が恣意的にならぬようにできるだけ客観的な基準をもってなされているかどうか,であろう。

(21) 佐藤隆夫・上原由起夫編著『現代民法IV【債権各論】』八千代出版・1999年・334頁[田沼柾],遠藤浩ほか編『民法(7) 事務管理・不当利得・不法行為 〔第3版〕』有斐閣・1987年・98頁[前田達明],遠藤浩編『基本法コンメンタール[第四版] 債権各論II』日本評論社・1996年・32頁[伊藤進]など。なお,[5]の「相当因果関係」について条文では明記されていないが(「之ニ因リテ」がこの点を指すものと考えられるが),加害行為と損害との間に相当因果関係が必要とされる(債務不履行に関する民法416条の準用)という点は,判例(大連判大15・5・22民集5巻386頁)・通説ともに認めるところである。

(22) フランス民法に影響を受けた旧民法財産篇370条においては,不法行為責任については次のように規定されていた。

過失又ハ懈怠ニ因リテ他人ニ損害ヲ加ヘタル者ハ其賠償ヲ為ス責ニ任ス

此損害ノ所為カ有意ニ出テタルトキハ其所為ハ民事ノ犯罪ヲ為シ無意ニ出テタルトキハ准犯罪ヲ為ス

犯罪及ヒ准犯罪ノ責任ノ広狭ハ合意ノ履行ニ於ケル詐欺及ヒ過失ノ責任ニ関スル次章第二節ノ規定ニ従フ

他方ドイツ民法に影響を受けた現行民法の規定についても,「権利」と限定すると保護法益が狭きに失するのではないかという指摘は明治28年の法典調査会においてもなされていたところであって,これに対して起草者(穂積陳重委員)は,「兎ニ角権利侵害ト云フ事丈ケノ事実ガ通則トシテアリマセヌト誠ニ其境ヒガアリマセヌノデアリマシテ幾ラカ社会ニ住ンデ居ル以上ハ他人ニ損害ヲ及ボスト云フコトガ度々アルコトデアリマスカラ其境ヒ丈ケハ存シテ置イテ貰ヒタイト思ヒマス……唯損害サヘアレバト斯ウ云フ風ニ致シテ置キマスルト云フト権利ノ侵害ハナクシテ損害ヲ他人ニ及ボシタト云フ場合マデモ這入ツテ不法行為ニ依ル債権ト云フモノノ範囲ガ不明瞭ニナリハ致シマスマイカ……」と答えている(法典調査会民法議事速記録40巻144頁以下)。この議論の経緯については,平井宜雄『損害賠償法の理論』東大出版会・1971年・356頁以下が詳しい。

(23) 著名なところでは大判大3・7・4刑録20輯1360頁(桃中軒雲右衛門事件)がそのような事例であると指摘される。もっとも,同事件は旧刑事訴訟法(大正11年法律75号。現行の昭和23年法律131号により全面改正。)において認められていた附帯私訴の事案であり,同法においては,公訴(刑事訴訟)で無罪の判決(旧刑訴362条)をなす場合はそれに附帯する私訴の請求を却下・棄却しなければならないとされていた点(同590条)に少なからず留意しなければならないだろう。なおこのほかには,「湯屋営業権」の権利性を否定した大判明44・9・29民録17輯519頁や,著作権ないし実用新案権のない音譜(レコード)の複製販売行為を「自由競争ノ結果」であるゆえ不法行為にならないとした大判大7・9・16民録24輯710頁があげられる。

(24) この「違法性論」はその後の判例・学説の圧倒的支持を得て確固たるものとなった。この点については,末川博『権利侵害論』日本評論社・1930年,加藤一郎『不法行為〔増補版〕』有斐閣・1974年・37頁などを参照。もちろん,民法709条の保護法益を拡げることに反対する立場もある(鳩山秀夫『増訂日本債権法各論(下)』岩波書店・1924年・844頁など。なお,沢井裕「不法行為における権利侵害と違法性」加藤一郎・平井宜雄編『民法の判例』有斐閣・1979年・173頁は,違法性論が,不法行為の成否の判断について加害行為の態様に依存して被害法益の性質を軽視する危険性を有している,と指摘する。)。

(25) 我妻『債権各論(下)一 民法講義V4』岩波書店・1972年・125頁,佐藤・上原前掲(21)342頁以下,遠藤前掲(21)コンメンタール40頁など。

(26) 佐藤功『日本国憲法概説〈全訂第3版〉』学陽書房・1985年・139頁以下。これによれば私人間の基本的人権の適用については通説・判例とも間接適用説が採られ,ゆえに民事訴訟においては,直接的に基本的人権の侵害が論ぜられるのではなく,公序良俗違反(民90条)の問題として処理される(例えば,性別による会社の定年年齢の差別を無効であるとした最判昭56・3・24民集35巻2号300頁は,その典型であろう。)。

(27) 出版等の差止請求に対する抗弁として「表現の自由」を主張することはしばしば見受けられるところであるが,この場合においても前掲(26)にいう間接適用説が採られる。すなわち,パブリシティ権侵害に関する事例ではないが,表現行為が不法行為としての名誉毀損を構成するか否かが争われた最判昭41・6・23民集20巻5号1118頁は,「その〔表現〕行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には,摘示された事実が真実であることが証明されたときは,右行為には違法性がなく,不法行為は成立しないものと解するのが相当であり,もし,右事実が真実であることが証明されなくても,その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには,右行為には故意もしくは過失がなく,結局,不法行為は成立しないものと解するのが相当である」と判示しており,以降の名誉毀損に関する判例もこれに従っている。これになぞらえて考えるとすると,表現行為がパブリシティ権侵害を構成するか否かが問題となった場合においても,原告側の主張する請求原因を認めながら被告側の「表現の自由」抗弁を容れて請求を棄却する(パブリシティ権侵害は成立するが当該表現が「表現の自由」により保護されるゆえ差止請求が許されない)というのではなく,むしろ被告側において故意・過失または違法性を欠くゆえ不法行為(パブリシティ権侵害)が成立しないと判断されるべきである。もっともその判断に際しては,名誉毀損の例における公共性および真実性の判断基準をストレートに当てはめることが妥当か,妥当でないとしたらいかなる基準をもってこれを判断すべきかといった問題があるが,ここでは紙幅の関係もあるので上記の点を指摘するにとどめておく。

(「東京情報大学研究論集」 6巻 1号 ―2002年 7月― 掲載)





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