www.sekidou.com

法学ことはじめ (1)

法学に対する心構え

法学とはどんな学問か

「法学」とは,まさに読んで時のごとく「法を学ぶ」「法に関する学問」ということです。「法を学んでいる」というと「法律に詳しい」と世人一般から思われるものです。しかしこの「法律に詳しい」というのは,例えば「○○法の第何条はどんな規定か」とか「どのような行為がどのような犯罪となるか」といった質問に即答できることだと認識している人が少なくないでしょう。しかしこれは,特に「法学」に関して言えば大きな誤解であるといわざるをえません。もちろんこのような知識は弁護士や検事などの実務に携わる人々にとってはそれなりに重要なものではありますが,上記のような問答を頭にたたき込むことが「法学」であるということはとうていできません。では,「法学」とはどんなことを研究する学問なのでしょうか。

身近な例として,「法」をスポーツの「ルール」に喩えてみましょう。スポーツを経験したことがある人ならば,それに一定のルールが存在することは誰でも知っているでしょう。競技者はできるだけそのルールを頭に入れておいて,それに違反することのないよう競技をすることを求められますし,審判員もまたルールを頭に入れておいて,それに従って判定をし,またルールに違反した競技者を適切に処分します。しかし,このルールを「知っている」だけでは「学ぶこと」にはなりません。ルールを対象として「学ぶ」ということは,例えば,「なぜそのようなルールがあるのか」「どのようにしてそのようなルールができたのか」といった問題や,「そのようなルールに合理性があるか」とか「ルールの運用(適用)に問題はないか」,さらには「ルールをどのように解釈したらよいか」「ルールを新設改廃すべきではないか」などの問題に取り組んで,これらを考えることがルールを「真に学ぶこと」なのです。

つまり,「そもそも“法”とは何か」に始まって,上記の“ルール”の例にあるように,「どのようにしてそのような法ができたのか」や「法(特定の法律)そのものの合理性やその解釈・運用の可否」などを考えることに「法学」の本質があるのだと言えます。そしてこれら根本的な考え方を学ぶことによって,実際の事案を単に興味本位な事案の見方ではなく,これに対する「法的なものの見方・考え方」(いわゆる“リーガル・マインド”)が養われていくことになるのです。一見回り道のようですが,結局のところこの“リーガル・マインド”を備えることが,実際に世間で話題になっている今日的な法的問題に対しても正しい見方ができるということへの近道でもあるのです。

言葉に神経質になろう

法を学ぶにあたって重要な要素であるもののひとつとして,意外にも「言葉」があげられます。法は(成文法にしろ不文法にしろ)言葉をもって表現されるのを常としており,勢い法に関する議論も言葉をもってなされるのです。いくぶん大げさに聞こえるかもしれませんが,法を学ぶに際しては,古文のそれも含めて国語に関する知識がまず前提とされるといっても過言ではなく,ゆえに,特に初心者は,特殊用語辞典とはまた別に,国語辞典や漢和辞典と首っ引きにならざるを得ないのです。次項で述べる六法は言うに及ばず,こうした国語関係の辞書を引くことを面倒がっているようでは,法学を勉強する者として失格です。

また,言葉の意味と同様に重要なのが,言葉の用い方です。普段何気なく用いている言葉でも,こと法学においては神経質に扱わなければなりません。よく「法律における言葉遣いは堅苦しい,こなれた表現でないからわかりづらい。」という声を聞きますが,そうした言葉遣いの多くは,必要以上に解釈の幅が拡がって誤解を招いてしまうことを防ぐためなのです。ですからそうした法律を対象に議論をする場合においても,言葉(およびその用法)を深く考えることなく適当に省略してしまっては意味が異なってしまうこともあるのです

具体的な例を挙げましょう。「(また)」と「()しくは」という二つの言葉,使い分けていますか? 一般的な国語で習うところでは,「又は」も「若しくは」も “選択” の接続詞でその意味するところは異なりません。しかしながら,法の分野ではこの二つを使い分けないと大変困ったことになります。ではどうやって使い分けるのでしょうか。選択をトーナメント図に見立てて説明していきましょう。それぞれのトーナメント図で表された選択を言葉にするとどうなるか,ウェブ表示では各図に続くヒントを参照して考えてみてから図をクリック(タップ)してみてください。

選択が1回のみの場合,その選択の対象の両者を「又は」でつなぎます。

三つ以上の対象から1回選択する場合,各対象間の最後だけを「又は」とし,それより前は「、」(読点)でつなぎます。

選択が2回になる場合,最後の選択(いわば決勝)を「又は」でつなぎ,一つ前の選択(予選)を「若しくは」でつなぎます。日本国憲法38条2項の規定が,まさにこの構造になっています。

選択が3回以上になる場合も,最後の選択のみが「又は」になります。それより前の選択はいずれも「若しくは」になり,どこが同列の選択なのかは文脈で判断することになります。大変ややこしく思えるかもしれませんが,これよりさらに複雑な構造の条文の例として不正競争防止法2条1項20号があります(どんな条文なのかは是非ご自身で確認してみてください)。

こういった言葉そのものやその用い方に対していかに神経質になれるかは,法を学ぶうえで非常に重要です。より具体的に言えば,論述試験の答案において言葉(用法)をぞんざいにしていた場合は当然に減点の対象となるのです。

条文の確認を怠るな

通常,概説書(教科書)や論文等では,そこで参照すべき条文そのものをわざわざ引用して記すことはしません。これはすなわち,概説書や論文等を読む人が参照条文をすでに知っているということが前提になっているのです。しかし,あらゆる法条がすべて頭に入っているという人は稀で,ほとんどの場合上記の前提は成り立ちません。そこで必要になるのが「条文を確認する」という作業です。この作業なくして概説書・論文等を読むことは不可能といっても過言ではないでしょうし,仮に条文をまったく確認することなくこれができる人がいるとすれば,超人的に記憶力の優れた人か,単なる怠惰でしょう。面倒がって条文の確認を怠ることは,概説書・論文等の半分を読んでいないのに等しいといわざるを得ません。必ず条文は確認しましょう。

さて条文を確認するためには,当然ながら法令集(一般に「六法」と呼ばれるもの)が必要です。大きな書店を覗きますと,大小さまざまな法令集が出版されていることに気づくでしょう。収録された法令そのものが法令集によって異なるということはありませんから,文字の大きさ,ページのレイアウト,価格といった点や収録法令の多寡(ただし,目的の特定法令が収録されているかは重要。)などの点からみて自分に最も合ったものを選ぶとよいでしょう。ただし,法令は次々に新設改廃がなされていますから,最新のものを使うようにしましょう(要するに,父母兄姉や先輩のお下がりではダメだ,ということです。)。

ところで,最近ではウェブやアプリでも条文を入手することができますが,その場合はいくつか注意すべき点があります。まず第一に,ウェブやアプリに掲載されている条文が正確なものかどうかという問題があります。その法令に関わる省庁などの公的機関や法令編纂を業としている出版社などのサイトに収録されているものはそれなりに信頼することができますが,一般の私人が開設しているサイトにあるものについては,場合によってはスキャンのミスが原因と思われる誤字があったり,最新の改正が盛り込まれていなかったりするものもありますから,あまり信頼できる情報とは言えません。そして第二に,ウェブに掲載されている条文は,ほとんどの場合,官報に掲載されている形そのまま(せいぜい縦書きを横書きにしただけ)になっています。なお,デジタル庁が公開している “e-gov 法令検索” システムは,ウェブ上で提供されている法令のリソースとしては最も信頼できるものでしょう。

他方法令集では,参照関連条文が掲げられていたり事項索引があったりしますので,ただ単に条文を確認するだけでなく勉強をする際には市販の法令集のほうがやはり便利ということになりましょう(逆に条文の最新改正を確認するだけのような場合は,ウェブのものがむしろ有効であるとも言えます。)。

なお次項とも関連しますが,勉強に用いるには,条文の確認と併せて判例をチェックできるという点で「判例付六法」が便利です。関堂は,個人的にはこの「判例付六法」をお奨めしています(自分の講義の受講生に対しては必ず「判例付」に言及してこれを推奨しています)が,大学法学部の学生に関しては,多くの場合法律科目の試験において「判例付」の法令集を参照することが禁じられていますので,そうした場合は判例付でない法令集を(試験用に)用意する必要があるという点に注意してください。

判例をどう読むべきか

法を学ぶうえで,法令条文の確認に劣らず重要なのが「判例(裁判例)を読む」ということです(先例としての拘束力を有するという意味においては,厳密には最高裁判所の裁判のみを「判例」と称するのですが,ここでは広い意味で下級審の裁判をも含めて「判例」と言います。なお,下級審裁判をも含めたものを厳密な意味での「判例」と区別するため,「裁判例」ということもあります。)。

多くの場合,制定された法令の規定は抽象的な表現でしか記されていません。具体的にどのような事案がどの法令条文の適用を受けるかや,法令条文をどのように捉えて事案を処理するかは,司法すなわち実際の裁判に委ねられているのです。一般世人にとっては,裁判で扱われる事件(とりわけ刑事事件)はマスコミ等でも取り上げられる機会が多いためか,抽象的な法令条文よりも具体的表現を用いた判例のほうが取っつきやすいとも言えるでしょう。実際,関堂が担当している授業の受講生からも,「実際の事例を積極的に紹介してほしい」という声がしばしばあがります。

しかし取っつきやすいからこそ,判例は注意して読まなければなりません。ニュースなど一般のメディアにおいては,「○○の民事訴訟はどっちが勝訴した」とか「刑事被告人の××に死刑の判決が出た」という結果(とりわけ主観的なそれ)のみにどうしても興味が注がれがちですが,それに終始してしまうことは法を学ぶ者としての正しい姿勢であるとはとうてい言えません(だからといって,裁判の帰趨にまったく興味を示さないのもよいとは言えませんし,ただただ双手をあげて判例に賛成すればよいというものでもありませんが。)。重要なのは,客観的に判例を読んで,そこにどのような先例としての意義があるか,その事実認定や法的判断が妥当か,そしてその裁判は同種・類似の事案に爾後どのような影響を及ぼすか等々を考えることなのです

なお,世間の耳目を集めた事件に関しては一般のマス・メディア(新聞等)でも判決の要旨が掲載されることもありますが,これらはあくまで上記に述べたような社会的な視点からのものであることが少なくありません。ですから,やはり判例もオリジナル(またはそれに極めて近いかたち)で読む必要があります。もっとも,実際に裁判所で判決の写し(コピー)を入手することは一般には困難ですから,裁判所・法曹会など公的機関や専門書籍出版社によって発行される刊行物,すなわち「最高裁判所民事判例集(通称:民集)」「知的財産関係民事・行政裁判例集(通称:知財集・知的裁集)」「判例時報」「判例タイムズ」などにおいて公表されたものを読むのが便利です(こうした刊行物は,法学部を備える大学の図書館であればたいてい閲覧・複写することができます。)。また近年では,裁判所のウェブサイト でも最高裁をはじめとする各裁判所の判決・決定の一部が公開されており,便利です(もっとも,上告理由や当事者の表示が省略されている場合があるので十分とは言い難いのですが。)。なお,一部私設サイトでも裁判例を公開しているものがありますが,前述の条文におけるのと同様の注意が必要です。

法を学ぶことの意義

ところで,18世紀後半以降のドイツでは,「法学」はしばしば「パンの学問Brotwissenschaft)」と称されます。これは要するに「パン(メシ)を食うための学問」,すなわち「糧を得るべく職業に就くための学問」を意味し,法学が職業と密接に関連するものとしていささか自虐的にさえ用いられる表現なのですが,裏を返せば「メシを食うのに困らない学問」であるとも言えます。学問として究めるかどうかはさておき,あらゆるキャリアデザインの基礎の一つとして「法学」を選択することは,それなりに合理的であると言えましょう。

キャリアデザインにおける法学

法学で養われるスキル等

大学で法学を修めたからといって,そのすべての人が法曹や行政官になるわけではありません。しかし,法学によって得られるであろうさまざまなスキル(能力)は,上記④に掲げた法それ自体に関する知識以外においてもあらゆるビジネスで有用です。