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激烈!カラオケ伝 外伝


それは,1994年の残暑の頃でした。ボクを含む何人かの学生は,友人の留学生 J君をガイド役として大韓民国を縦断しました。博多からフェリーで釜山に入り,木浦(モッポ)-光州(クァンジュ)-扶余(プヨ)-ソウルを 5泊 6日で旅したのです。

ボクは,その2年前にもソウルを訪れたことがあったのですが,その際に味わった「三重苦」が忘れられませんでした。すなわち「見て読めない」「聞いてわからない」「話せない」というハングルの「三重苦」は,外国なら英語が通じるだろうとタカをくくっていたボクを苦しめるには充分だったのです。実はこのときの仇を討とうと,ボクは約半年の間J君からハングルを教わっていたのですが,そのおかげで意味は分からないまでもとりあえず字を発音することができるようにはなっていたのです。そして,J君のハングル講座の仕上げが「ハングルの歌」だったのです。彼から教わったのは――

――という2曲で(ハングルの綴りが間違っているかもしれません。ご存じの方はお教えください。),彼によればお国では最もポピュラーな曲の部類に入るとのこと。

さて旅の半ば,J君の出身地でもある光州で我々は J君の先輩や同輩・後輩たちから手厚い歓迎を受けました。彼の出身大学で交流会を行い,博物館を案内され,夜は食堂での「焼酎(ソジュ)&豚足パーティ」です。そして,その二次会がカラオケ・ボックスでした。彼地のカラオケには日本の歌などありません(ご存じのように,当時韓国では日本の歌は―表向きは―禁止されていました。アニメの主題歌など例外はありますが,これとて翻訳されていました。)。他の日本の学生諸君が専ら聴き役として座っているのを尻目に,半ば J君にうながされるかたちで彼から教わった 2曲を披露したのですが……

歌い出してすぐ,韓国の学生(OB含む)諸君が驚いているのを感じました。しかし驚きの声はまもなく合唱へと変わっていきます。彼らと声を合わせながら(彼国では,盛り上がると必ずみんな立ち上がって合唱になるのです。)なんとか歌い終えたボクに差しのべられる手また手…ある者は握手を求め,ある者は自らのグラスを差し出し,またある者はタバコを勧め…(自分の呑んでいたグラスで酒を勧めることは,友情の証しとされます。タバコも同様です。)彼らが口々に(ボクらと同様片言の英語で)ボクにいうのは,「我々のことばで(日本人が)歌を歌うとは感動した!」「日本人は嫌いだがキミは好きだ!」…などなど。賞賛というよりはむしろ驚きのほうが強かったようでした。そうした反応の中,ボクは悦びの頂点にあったのです。

1996年の 9月,ボクは三たび韓国を訪れましたが,途中光州に立ち寄り 2年前のカラオケの帰りに再開を誓った友人と会うことができました。彼が今でもボクの歌を忘れられないと言うのを聞いて,ボクの胸にもまた感動が甦ります。なお,別れ際に我々がまた再会を誓ったことはいうまでもありません……





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