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判例評論:

読者らが投稿した「モーニング娘。」らタレントの写真を掲載する雑誌を発行した出版社、発行人、編集人、代表取締役につき、タレントに対するプライバシー侵害の不法行為が認められた事例

ブブカスペシャル7事件

大阪工業大学・知的財産学部 専任講師  関堂幸輔

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参考: 東京地判平16・7・14 判時1879号71頁 ブブカスペシャル7事件


【事案の概要】

原告X₁X₁₆(以下原告らをまとめて「Xら」ということがある)は,それぞれテレビ番組等に出演する芸能人であり,特にその一部(X₈X₁₄の7名)は人気歌唱グループ「モーニング娘。」に当時所属していた者である。

平成14年6月ころに販売された雑誌「ブブカスペシャル7」(以下「本件雑誌」という)にはXらに関する内容の記述及び写真(ビデオやテレビの静止画像である場合を含む)から成る記事(以下「本件記事」という)が掲載されていたところ,Xらは,本件記事がXらのプライバシー権(肖像・個人情報)およびパブリシティ権を侵害するものとして,本件雑誌を出版・販売したY₁(株式会社コアマガジン),Y₂(本件雑誌の出版・販売当時のY₁の代表取締役),Y₃(同当時の本件雑誌の発行人)およびY₄(同当時の本件雑誌の編集人)を被告とし(以下被告らをまとめて「Yら」ということがある),損害賠償を請求した。すなわちXらの主張するところは,芸能人となる前の写真および通学中その他私的な状況にある場面での写真(計65点)はプライバシー権(肖像)を,また実家ないし元実家の所在地等に関する記述および写真(計3点)はプライバシー権(個人情報)をそれぞれ侵害するものであり,さらに,本件雑誌に掲載された40点あまりの写真(一部上記プライバシー権侵害の主張に係る写真と重複する)はXらのパブリシティ価値をXらに無断で商業的に使用したものでパブリシティ権を侵害する,というのである。

他方Yらは,プライバシー権侵害の主張につき,本件記事は表現の自由に属しその違法性が阻却され,あるいは本件記事はXらが芸能人として公表を包括的に承諾していた範囲に含まれるものであるなどとして争った。また,パブリシティ権侵害の主張については,同権利は制定法の根拠を欠き裁判例が認めた権利または法益であるから限定的に解すべきであるなどとし,これまでの裁判例でパブリシティ権侵害が認められたのは俳優の肖像を広告や商品に使用した事例であり,芸能人に関して出版された書籍・雑誌に関し最終的に芸能人のパブリシティ権侵害を根拠として損害賠償請求を認めた裁判例はないことを掲げて争った。

【判旨】

Xらのうち10名に対するプライバシー権(肖像・個人情報)の侵害を認めそれぞれ損害賠償請求の一部を認容。

一 プライバシー権侵害について

 何人もみだりに自己の容貌や姿態を撮影されず,撮影された肖像写真を公表されないという人格的利益は,プライバシー権(肖像)として法的に保護される〔ところ,X₁X₈X₉X₁₀X₁₁X₁₂X₁₃X₁₄X₁₅およびX₁₆の〕芸能人になる前の……姿を撮影した写真〔,〕私服姿で路上を通行中等の……姿を撮影した写真〔および〕制服姿で通学中の……姿を撮影した写真……は,私生活上の事実であって,一般人の感受性を基準として他人への公開を欲しない事柄であり,これが一般にいまだ知られておらず,かつ,その公表により同Xらが不快,不安の念を覚えたことが認められるから,これらの写真を本件雑誌に掲載し,それを出版,販売した……行為は,同Xらのプライバシー権(肖像)の侵害に当たる。〔これに反する〕Yらの主張は,採用することができない。

 他人がみだりに個人の私的事柄についての情報を取得することを許さず,また,他人が個人の私的事柄をみだりに第三者へ公表したり,利用することを許さず,もって人格的自律ないし私生活上の平穏を維持するという利益は,プライバシー権(個人情報)として法的に保護される。〔実家ないし元実家の最寄り駅および元実家の外観は〕一般人の感受性を基準として他人への公開を欲しない事柄であり,その公表により〔X₈およびX₁₆〕が不快,不安の念を覚えたことが認められる〔から,上記に関する〕写真及び記述を本件雑誌に掲載し,それを出版,販売したことにより,Y₃及びY₄は,〔同Xら〕のプライバシー権(個人情報)を違法に侵害したものである。

2 Y₃及びY₄は,〔前記Xら〕のプライバシー権を侵害しないようにすべき注意義務を負っていたところ,弁論の全趣旨によれば,本件雑誌の出版,販売当時,〔芸能人となる前の写真の撮影,公表および芸能人等の住所,電話番号等の掲載が違法たりうることを了知し得る裁判例もすでにあったことなど〕から,〔同Yら〕には,少なくとも同Xらのプライバシー権侵害につき,過失があり,違法性の認識可能性に欠けるところはなかったものと認められる。〔また〕Y₂は,本件雑誌の編集に具体的に関与していなかったとしても,〔認定事実から〕同Xらのプライバシー権を侵害しないように配慮すべき義務を有していたものというべきであ〔り,〕これらの義務を怠ったことが認められる。

二 パブリシティ権侵害について

1 固有の名声,社会的評価,知名度を獲得した……著名人は,〔その〕顧客吸引力を経済的利益ないし価値として把握し,かかる経済的価値を独占的に享受することのできるパブリシティ権と称される財産的利益を有する〔一方で,〕芸能人等の仕事を選択した者は,芸能人等としての活動やそれに関連する事項が大衆の関心事となり,雑誌,新聞,テレビ等のマスメディアによって批判,論評,紹介等の対象となることや,そのような紹介記事等の一部として自らの写真が掲載される自体は容認せざるを得ない立場にあ〔り,〕そのような紹介記事等には,必然的に芸能人等の顧客吸引力が反映し,それらの影響を紹介記事等から遮断することは困難である。……以上の点を考慮すると,ある者の行為が上記パブリシティ権を侵害する不法行為を構成するか否かは,他人の氏名,肖像等を使用する目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,上記使用が当該芸能人等の顧客吸引力に着目し,専らその利用を目的とするものであるといえるか否かによって,判断すべきである。

 〔X₁に係る写真5点(筆者注:うち4点はプライバシー権(肖像)を侵害すると認定されたもの)ならびにX₈をイベント会場で撮影した写真2点およびデビュー後のX₁₆の通学中の姿を撮影した写真3点(筆者注:計5点はいずれも同Xらの実家ないし元実家を探し出す記事に添えられているもの)は,〕同Xらの小学校時代の体型や生活振りを紹介する記事〔または〕実家〔ないし元実家〕を探し出すという文章が主な記事の一部として使用されたものであるから,同Xらの顧客吸引力に着目し,専らその利用を目的とするものであるとまで認めることはできない(〔これらの記事ないし写真の〕掲載がプライバシー権……侵害を構成するか否かは,別問題である。)。

 芸能人の仕事を選択した者は,芸能人としての活動やそれに関連する事項が大衆の関心事となり,雑誌等によって論評等の対象となることや,そのような記事の一部として自らの写真が掲載されること自体は容認せざるを得ない立場にあるところ,〔X₂に係る写真4点,X₃X₄X₅X₆X₇およびX₈に係る写真6点,デビュー後に通学していた中学校で教師らと一緒に撮影したX₈の写真1点,X₉が映画の撮影目的で駅伝に出場した際の写真3点ならびにデビュー後の中学校の卒業式の際に撮影されたX₁₀の写真1点は,いずれも芸能活動に関する論評または紹介の記事の一部として,同Xら〕の写真を使用しているものであり,写真の大きさも,その記事に必要な範囲を超えるものではないから,〔同Xら〕の顧客吸引力に着目し,専らその利用を目的とするものであるとまで認めることはできない。

 〔X₈の,デビュー後の通学中の姿を撮影した写真4点,休暇中の姿を撮影した写真6点およびデビュー前の姿を撮影した写真4点(筆者注:この4点はプライバシー権(肖像)を侵害すると認定されたもの),ならびに,X₁₅のデビュー後の通学中の姿を撮影した写真5点は,それぞれ頁の大半を占め,これらに付されているコメントや文章部分が極めて少なく,いずれもその〕使用の態様は,モデル料等が通常支払われるべき週刊誌等におけるグラビア写真としての利用に比肩すべき程度に達しているといわざるを得〔ず,〕したがって,〔これら〕の写真を掲載したY₃及びY₄の行為は,同原告のパブリシティ権を違法に侵害したものである。

3 本件雑誌が出版された……当時,そもそも制定法の根拠を欠くパブリシティ権を認めることができるか否か自体について議論があり,パブリシティ権侵害を認めた裁判例は,すべて芸能人の氏名や肖像を広告又は……商品に付して利用したというものであり……,本件のように,芸能人の私生活を取り上げる記事の中でどの程度写真を利用するとパブリシティ権侵害となるかが正面から争われ,パブリシティ権侵害が認定された事例はなかったことが認められる〔から,〕パブリシティ権侵害につき,〔Yら〕には,違法性の認識可能性がなかったものであり,有責性を欠くものといわざるを得ない。

【批評】

一 パブリシティ権の意義と情報の利用態様

パブリシティ権(パブリシティの権利)は,つとに知られているように,アメリカの判例Haelan Laboratories, Inc. v. Topps Chewing Gum, Inc., 202 F.2d 866 [2nd Cir. 1953]に端を発し,わが国でも東京高判平3・9・26判時1400号3頁(おニャン子クラブ事件控訴審)等の裁判例を通じてその意義が確立されてきた。それらの裁判例や学説(通説)によれば,パブリシティ権とは「芸能人が,その氏名・肖像等について獲得した顧客吸引力のもつ経済的な利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利」であるとおおむね定義づけられる(なお拙稿「パブリシティ権の再構成」著作権研究29号184頁をも参照)。本件判決のパブリシティ権の定義も,ほぼこれに倣ったものであるといえよう。

他方,パブリシティ権侵害が成立する要件およびその効果等に関しては,これまで必ずしも明らかにされてきたわけではない。とりわけ,著名人の氏名・肖像それ自体を商品や広告に(いわば直接的に)利用するのではなく,著名人の紹介や批評といった表現において当該著名人の氏名・肖像が利用されるような場合に関しては,それをただちにパブリシティ権侵害とするには少なからず問題がある。

この点につき本件判決は,氏名・肖像等を使用する目的・方法・態様を全体的かつ客観的に考察して,その使用が当該芸能人等の顧客吸引力に着目し,もっぱらその利用を目的とするものであるといえるか否かで判断すべきであるとして,その判断準則を示している。これは従来からキング・クリムゾン事件控訴審判決(東京高判平11・2・24判例集未登載)や中田英寿事件第一審判決(東京地判平12・2・29判時1715号76頁)でも判示されてきたところで,これらをほぼ踏襲したものといえる。

もっとも,上記両判決についてもかねてより議論は存するところで,パブリシティ権の発祥であるアメリカの例から,言論の自由にかかわるプレスは一貫してパブリシティ権侵害の適用除外とされると説くもの(豊田彰「書籍への利用 ―キング・クリムゾン事件」著作権判例百選〔第三版〕197頁)もあれば,言論の自由のみを根拠に著名人が自己のパブリシティ価値が利用されるのを甘受しなければならない点をそもそも疑問視する見解(牛木理一『キャラクター戦略と商品化権』発明協会・2000年・471頁)もある。また,紹介・批評にパブリシティ権侵害が成立するとしても,もっぱら著名人の顧客吸引力の利用を目的とするかどうかの判断基準は「程度概念」で「微妙」であるところ,その「認定には慎重にならざるを得ない」との指摘もあり(龍村全「スポーツ選手の氏名・肖像 ―中田英寿事件」著作権判例百選〔第三版〕198頁),この問題の難しさを伺わせる。

本件判決は,この従前からの判断準則に加え,著名人の紹介・批評といった表現行為において,どのような利用が,そしてどの程度の利用がパブリシティ権の侵害となるのかを,個々の写真ないし記事を通して具体的な検討をしつつ認定しており,結論はともあれ一つの基準を示したものと評価できる。すなわち本件判決は,①書籍全体の形状・構成等,②個々の記事の構成,③個々の記事中の写真の大きさ,ならびに④当該写真の内容および記事中のコメントないし文章部分の内容という四つの要因,特に③と④との対比において,写真の使用の態様が「モデル料等が通常支払われるべき週刊誌等におけるグラビア写真としての利用に比肩すべき程度に達している」ものをもっぱら芸能人等の顧客吸引力の利用を目的とすると認定したものである。

とはいうものの,この手法は客体となる情報が肖像だからこそ成り立つともいえるのであって,氏名のように言語で表現される情報はさらに判断が困難になろう。けだし,氏名はとりわけ個人本人を特定・識別する機能としての側面が大きい情報であり,さらに視覚上は文字によって表記・伝達されるものであるところ,これが報道や紹介・批評記事等の表現において用いられた分量だけに着目して,もっぱら著名人の顧客吸引力が利用されたかどうかを判断するのは適切でない。情報の性質・機能(情報がもつ個人識別機能の強度や,他の機能によって著名人本人の想起が遮断されるかどうか等)にも留意すべきであろう。ただこれに関連して,双方向の情報配信のようなメディア技術の発達やメディア間の競争の激化による「何でもあり」的風潮によって古典的な報道観が崩れつつある今日にあっては,改めて「質」よりも「量」の問題が重要になるとの主張もあり(内藤篤=田代貞之『パブリシティ権概説』木鐸社・1999年・258頁),興味を惹く。

いずれにしても,本件判決は,いかなる行為がパブリシティ権の侵害となるかを判ずることの難しさを改めて浮き彫りにしたものといえるのではないか。

二 パブリシティ権とプライバシー権の競合

本件では,原告から,何点かの肖像写真につき同一の写真の利用がプライバシー権とパブリシティ権との両方を侵害したとの主張がなされている。これに対して本件判決は,一部の情報についてはそれぞれを「別問題である」としたものの(判旨二2),他方同一の情報について両方の権利侵害を認めたものもある(同)。そこで浮かび上がるのが,同一の情報につきプライバシー権とパブリシティ権とが競合しうるかという問題である。

いわゆる暴露本に関しては,一見顧客吸引力の利用のように見えるものの,氏名のように本来本人が使用されるのを厭わないはずの情報が獲得した顧客吸引力を利用する場合とは異質の問題であって,プライバシー権侵害の問題に属するものだとする立場が有力である(龍村・前掲198頁,作花文雄『詳解著作権法〔第2版〕』ぎょうせい・2002年・166頁)

本件雑誌のような,いわゆる「お宝」などと称される未公開情報を積極的に扱う書籍やその他のメディア(インターネット上の情報も含む)も,こうした暴露本と同様に捉えうるところであるが,そこで取り上げられる情報が,従前広く知られてなかったがゆえに価値があるのか,それとも当該著名人の情報であるがゆえに価値があるのか,それを決するのはむしろ情報の受け手に委ねられる部分が大きく,また両者をはっきりと分離することは困難である。そうだとすると,プライバシー権の目的となる情報でも,著名人の顧客吸引力に依存する部分が含まれることは否定できないのであって,これが同時にパブリシティ権の目的たりうると考えることもあながち不合理とはいえないのではなかろうか。本件判決が,プライバシー権侵害となる情報が同時にパブリシティ権侵害となりうる点を否定しなかったことを,(理論的な説示がなされていない点は措いても)筆者としては評価したい(なお,両権利の相関についての筆者による構成は,前掲の拙稿および筆者のサイト所収の文書 http://www.sekidou.com/articles/20021207.shtml を参照されたい)

もっとも,著名人に関する情報が常にプライバシーとパブリシティの両方の権利の目的となるわけではない。たとえば美容整形した芸能人の従前の肖像が現在のそれと似ていない場合などは,当該肖像が当該芸能人を直接想起させないのであればもはやパブリシティ権の侵害たりえず,もっぱらプライバシー権侵害の問題となることはいうまでもない。

ところで,一つの行為によってプライバシー権とパブリシティ権の両方が侵害された場合,両権利に基づく損害賠償請求は一個の訴訟物であるか。著作権に関する事例ではあるが,かつて最高裁はいわゆるパロディ・モンタージュ事件第二次上告審(最判昭61・5・30民集40巻4号725頁)において,著作財産権と著作者人格権とが「法的保護の態様を異にしている」ことを理由に,それぞれの権利に基づく慰謝料請求は訴訟物を異にする別個の請求である旨判示している。実定法上の権利である著作権と,本件のプライバシー権およびパブリシティ権とを単純比較することは適切ではないだろうし,訴訟法の議論は筆者の能力を超えるので,ここに指摘するに止めておく。

三 無名時代の肖像とパブリシティ権

前述したプライバシー権とパブリシティ権の競合とも関係するが,本件判決は,芸能人となる前の肖像につきパブリシティ権侵害が認められたという点でも特徴がある。著名となり顧客吸引力を獲得して以降の肖像がパブリシティ権の目的となることは異論がないだろうが,それより前のいわば無名時代の肖像がパブリシティ権の目的たりえるのか,また目的たりえるとすればいつ権利が発生し,またはどの段階で権利の目的となるのか,という問題である。

まず,著名でない人にもパブリシティ権が存するかについて,マッカーシーはこれを肯定するMcCarthy, The Right of Publicity and Privacy (1987), §4.1 [B]。他方わが国の主要な学説はこれを否定し,さらにパブリシティ権を享受するには,著名であるだけでなく俳優・歌手等の芸能人,プロ・スポーツ選手など「公衆の人気に支えられ」る存在であることを要するとする(竹田稔『プライバシー侵害と民事責任』判例時報社・1991年・201頁。斉藤博「氏名・肖像の商業的利用に関する権利」特許研究15号22頁も同旨。もっともこの見解は,芸能人にあらざる著名人に対する人格権侵害の成立までも否定するものではない)。もちろんこれらの説が権利主体たりえないというのは,将来的にも芸能人(プロ・スポーツ選手を含む。以下同じ)になる可能性がない者を想定しているものと思われるゆえ,これを本件のような後に芸能人となった者の無名時代の肖像にまで当てはめることは適切ではないだろうが,世人のほとんどが生まれながらに著名人・芸能人であるわけではないのだから,その時点でパブリシティ権を享受していないとすれば,やはり無名時代の情報につきパブリシティ権が存しうるのか,また存しうるとしていつ権利が生じるのかという問題は残る。

とりあえず肖像について時系列で整理すると,①無名時(デビュー前)に撮影された肖像写真があり,②肖像の主体が著名となり(顧客吸引力を獲得),そして③無名時の肖像写真(①)が利用された,というのが一般的であり,本件でパブリシティ権侵害が認定された写真もこの類型に属する。しかし,報道写真など後に芸能人になる者が偶然写っていてそれがデビューに先立って利用された場合など,①③②の順となる可能性もある。また前記②はさらに芸能人として職業に就いた時と著名になった時とにも分けられる。すなわち両者に時間差があればその間にある者は「無名の職業芸能人」ということになるし,ⓐⓑが逆になる(著名になった後職業芸能人となる)場合もありうるだろう。

この無名時代の写真にパブリシティ権が生ずるとすれば,①の段階で(=②より前に)すでに権利が発生していると考えるか,あるいは,①では権利が生じておらず②で権利が発生すると考えるかのいずれかになり,前者にあってはさらに,①の段階で権利が潜在的に発生しており②でこれが顕在化するという立場と,①の段階で権利が完全に発生している(権利侵害の成否は行為の如何による)という立場とに分かれる(内藤=田代・前掲201頁参照)

ここで,②で初めて権利が発生するという考え方は,要するに,客体はすでに存在するにもかかわらずある時期になるまではそれに対する権利が存在しないというものであり,一般的な財産権の理論には馴染みにくいと思われる。やはり②より前に権利そのものは発生しているが,主体が著名となり顧客吸引力を獲得した段階(②,特に)で顕在化すると説明したほうが明解ではなかろうか。いつ著名となり顧客吸引力を獲得したのか(②またはの時期)の認定も困難であると思われるが,ある程度客観的な事実によるべきであろう。

四 違法性の認識

本件では,加害者に違法性の認識がないことを理由に,パブリシティ権の侵害は結果的に否定された。

判例は古くより「或ハ違法ナル行為ヲ適法ナリト誤信シテ為シタル者カ之ヲ誤信スルニ付過失ナキトキハ行為者ハ其ノ違法ノ結果ニ付故意又ハ過失ナキカ故ニ不法行為ノ責ニ任スルモノニ非ス」(大判昭16・3・26新聞4698号26頁)としており,またこの点に関し通説は,行為者において,客観的に違法と認識される事実を認識するだけでなく,その事実が違法であることをも認識すること(違法の認識)あるいは違法の認識可能性をも必要とすると説く(篠塚昭次・前田達明編『新・判例コンメンタール民法9 不法行為』三省堂・1993年・11頁〔牛山積・前田達明〕,我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為』(新法学全集10)日本評論社・1937年・103頁,加藤一郎『不法行為〔増補版〕』(法律学全集22-Ⅱ)有斐閣・1974年・67頁など)

本件判決は,この違法性の認識につき,争点に関する裁判例の有無を判断要因とした(結果的にこの認識の欠如を理由にその成立を否定したパブリシティ権侵害はもちろん,プライバシー権侵害についても同種の裁判例を引き合いに出している)。制定法の根拠がない権利利益の侵害についての違法認識の要件につき,一つの判断準則を示したといえようが,いささか疑問が残らないわけではない。前掲の大審院判決は,過失の有無の判断基準を「通常行為者ノ地位ニ在ル者カ有スヘキ法律知識ヲ標準トシ其ノ種ノ行為ヲ為スニ付取引上必要トスヘキ注意ヲ欠キタルヤ否ヤニ依」るものとしているが,これを裁判例の有無のみで決していいものだろうか。たとえば行為者の属する業界・集団の慣習・慣行や自主規制・申し合わせ等の存否,行為者と権利侵害を主張する者との従前の経緯等をも含めて,総合的に(結局はケース・バイ・ケースとなろうが)判断すべきではなかろうか。

特に本件にあっては,行為者(Yら)はマスメディアの世界に身を置く者であるし,また,判決が引き合いに出す裁判例(前掲キング・クリムゾン事件および中田英寿事件)においても,結果的にパブリシティ権侵害の成立は否定されているものの判断準則は示されているのであり,そうした点などから違法の認識はともかくその認識可能性が認められる余地もなかったのか,疑問である。権利利益の違法な侵害を認定しておきながら違法性の認識(故意・過失)で弾くというからには相応の根拠が示されて然るべきであり,それが同種の裁判例の不存在だけというのはやや説得力に欠けるのではないか。

五 おわりに

繰り返しになるが,本件では結果的にパブリシティ権侵害が否定されたものの,そこで判示された事項はこれまで同権利のあまり論じられてこなかった部分を含むもので,今後同種の裁判にも少なからず影響を及ぼすものと思われる。また,とりわけ前記二ないし三で取り上げた論点については,学説のさらなる展開ないし再構成も期待されるところであり,その意味においても注目に値しよう。

判例時報 1897号 176頁(判例評論 559号 14頁)(2005年9月刊) 掲載

2009年 5月 25日 ウェブ用に クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示-改変禁止) にて転載




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